人間は現実の世界の中に存在するよりも、外界を自らの体験、既存知識、や欲求に照り合わせて解釈するとコミュニケーション学や心理学、または近代哲学の多くの学者や思想家が考えています。言い換えれば、私たちそれぞれの個々人は自分だけの世界を創造するとも考えられます。
この思想から、人間は想像の中に生きる、そして想像するものしか達成できないという考え方が生まれました。逆に、想像しない、または想像できないものは絶対に現実にならないのです。
この考え方がピンと来なければ、発明家や多くの研究家を思い出せばいいです。新しい物や技術が発明されると、何故もっと前から誰かがそれに思いつかなかったかと不思議に思ったことは多分あると思います。
さらに面白いのは、多くの発明家は小説やテレビドラマから何等かのインスピレーションを受けたということです。考えてみれば、私は小学校時代から大好きなスター・ウォーズや後に登場したスタートレックも正にそうです。子供の頃、宇宙飛行機の戦闘シーンやエンタープライズの宇宙開拓を興奮しながら毎週熱心に観てきましたが、いつの間にかこれらのドラマに登場した技術(ロボット、パソコンの音声操作等々)が次々と開発されました。1960年代の「宇宙人ドラマ」を観ると、逆に「古くさい」と思わず笑うことがよくあります。でも、「古臭い」は映画のセットや俳優の喋り方ではなく、登場するパソコンや飛行機、宇宙船等のデザインが既に開発されたからです。
テレビや小説は勿論一つの例に過ぎませんが、物語がなければ、人間は進化しないとわかっていただけたと思います。
しかし残念ながら、「物語」というのは現代社会の大人にとって、評価すべきものではないと言わざるを得ません。夢をみるより、現実的に考え、効率や生産性を向上させるために、達成すべき目標を立てるべきです。そう考える方は多いのではないでしょうか。
勿論、目標を立てることはとても大事なことであり、成長するために絶対必要なものです。
この問いに対する答えは知りませんが、私なりの見解は、このような組織的かつ理性的な目標設定(例えばコスト削減10%、売り上げアップ25%等々)によって人間の「人間らしさ」が無視されているという気がいたします。つまり、一人ひとりの「人間」に物語がないゆえに、幸せになれないと考えます。幸せ(→自己実現)になれない人間はある程度まで機能できるのですが、最終的に社会や組織に悪影響が相違なく及びます。
ルネ・デカルトというフランスの哲学者が人間であることについて考えたところ、1637年に「我思う、ゆえに我あり」という結論に至りました。ですが、私はむしろ「物語あるゆえに我あり」だと考えています。なぜならば、自らの物語を描く、そしてその想像の世界を現実にする能力を持つのは人間だけだからです。
最近「ヴぃィジョン」という言葉をよく耳にします。ヴぃジョンを持つことは夢を持つという意味合いでもよく使われているそうですが、やはり「物語」とのコンテクストがなければ、実現は難しいでしょう。
少し整理してみましょう。「目標」、「ヴぃジョン」そして「物語」という用語が出てきました。それらの関係をわかりやすく説明してみると、次のとおりです。 そのヴィジョンを実現できるために、いくつかの(中間)目標が必要です。目標はヴィジョンより具体的であり、数字化にできることは最大の特徴でしょう。 そして「物語」というのは、ヴィジョンと目標のコンテクスト(文脈)になります。つまりヴぃジョンと目標をつないでいる、その背景にあるものです。
しかし「物語」と「ヴィジョン・目標」の最も大きな違いはプロセスにあります。「ヴィジョン」や「目標」は設定するものであるのに対して、「物語」はやめずに描き続けられるものです。
特に「目標」には現実的な制限がたくさんあるのですが、自分の「物語」には制限もなければ、限界もありません。全ては自らの創造性によります。そして時間が経つのにつれて、自分の物語が徐々に詳細化し、些細なことでも新鮮に思い描くことができるようになります。 自分の物語が鮮明かつ詳細であればあるほど、生き甲斐が感じられ、日常の行動がその物語に沿って変わってきます。その結果として、自分が描いた物語が実現するのです。
自分の物語に合うヴィジョンを持って、相応しい(中間)目標を設定できれば、自分の物語がより確実に現実となります。それは迷わずに自分の体験から断言できます。
15年前から日本という国を初めて意識しましたが、その自分の故郷と全く違う日本に対する好奇心が次第に沸いてきました。武道のケイコから日本の文学や映画まで、日本に関係あるものを全て呑み込みました。 いつのまにか、自分の頭の中に映画のように自分が日本で暮らす姿が見えるようになりました。あくまで私が勝手に想像した日本なんですが、段々その映像は複雑になってきました。 仕事の場面、ケイコの場面、人間関係、恋愛まで、様々なシーンが一つの大きな物語につながりました。そこから自然に日本に関する新聞記事を読めるようになり、日本語講座にも申し込みました。 特に意識はしませんでしたが、振り返ってみれば、当時の自分の行動の全ては自然に「日本に暮らす」という目標に向いていました。
そして10年後、日本留学が決まって、日本に旅たちました。あれからもう10年が経とうとしますが、私が20年前に描いた物語が今「日常」になりました。思い出すと鳥肌が立ちますね。
物語さえ描けば、夢が本当に実現するのですか?
残念ながら、そう簡単にはいけません。物語を描くことは自己実現やヴィジョンの達成に不可欠ですが、行動を起こさなければ、何も変わったりはしません。勿論明確に自分の物語を描けば、無意識に自分の行動が物語のスクリプトに沿いますが、そこまで些細なところに至って自分の物語を想像し続ける人は中々いないと思います。すぐに現実に追われ、目の前の問題で精一杯になります。物語を想像する余裕がなくなるわけです。
自分の物語を実現するために、目標設定や行動計画が役に立つでしょう。また、自分の物語を他者に語るのもとても効果的です。残念ながら、聴いてくれる相手が中々いません。仮に親しい友人や家族に語ろうと思っても、笑われたらどうする?批判されたらどうする?と不安になるでしょう。そこで積極的に自分の物語を語るのを躊躇する方が多いはずです。目標を立てることも中々難しいですから、挫折をしてしまう可能性が高くなってしまいます。
そうならないように、コーチがいます。コーチングを通して、貴方の物語を共に描き、語り合い、膨らませます。未知の可能性や選択を共に切り拓き、物語の実現に向けて行動計画や目標を考えます。
物語を描くことで、貴方の人生が変わります。
是非、貴方の物語を聞かせてください。
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